靫葛

覚書。

親兄弟が洗脳されている話。

忘れない間に、少しずつ書いていこうと思います。

 

内容はタイトルの通り。

 

僕には両親と3人の妹弟がいます。4人きょうだいですね。

瀬戸内海の離れ小島で生まれ育ち、田舎というクソ狭いコミュニティで高校生まで生活してきました。

親は田舎から出たことがありません。

 

割と平凡な家庭でした。

 

しかしながら家庭の崩壊は、3年前から始まっていました。

 

軽く自己紹介。

僕は現在24歳。4人兄弟の長子です。

今は実家を離れて遠い地で一人暮らし中。

兄弟は、妹1(大学生)、弟(大学生)、妹2(中学生)の3人。

大学生の妹と弟は実家を離れて2人で暮らしています。

親は共働きで、食べ物にも暮らしにも困っていない、平均的な家庭です。

 

舞い降りてきた「先生」

そんな我が家に4~5年程前から新しい風が吹き込んできました。

弟が某有名大の先生に歌の才能を認められ、師事して専門的にレッスンをしないか、と言われたのです。

その方は世界的な歌手で、弟はそのお弟子さんに師事し始めました。

時期は少し遅れましたが、妹1もそのお弟子さんに師事し始めました。

レッスンを受け始めてからの弟と妹の変貌ぶりは物凄く、弟は先生がいるからと大学受験を決め、悪かった成績がメキメキ上がり、歌は歌でコンクールで入賞するほどの実力になっていきました。専門学校に行くつもりだった弟は、偏差値の高い大学に受かり、立派に大学生になりました。

妹は公立大学にストレートで合格、歌の実力、大学の勉強ともに充実しているようで、2人はどんどん自信に満ち溢れていきました。

 

一方僕は、高校時代に半年不登校、大学は卒業したものの就職後もなかなかうまくいかず、職を転々としてようやく今の会社に落ち着いた経歴があります。

 

そんな僕と、優秀なきょうだいたち。

もちろん、上下関係はひっくり返っていました。

妹も弟も僕を見下し、親ですら、妹たちをあてにしています。

でもそのことは、当然のことでしたし、僕は「家族」をないがしろにしてきていたので、特に異論も何もありませんでした。

むしろゆくゆくは縁を切るつもりでしたから、僕がいない形で家庭が回っていけば、自然といつか忘れられるだろうと、そう思っていました。

 

しかし、妹1と弟の思考は、師事している先生に毒され始めていました。

 

「先生」と「思考の誘導」

その先生は、歌の世界で大成できる実力者でありながら、環境に恵まれず、プロとしての知名度は高くないながら、地元で合唱団を作り、後進の指導をしているそうです。

(僕はお会いしたことがないので、聞いた情報ですが……)

すごく頭のいい方で、いろんな勉強をしている勉強家で、一目見ればその人のことが全部わかる…とまぁいわゆる「すごい人」だそうです。

 

そんな先生の指導を受け始めた妹1と弟は、「先生の言う正しさ」がすべて正しいと思い込み始めました。

当然のことだと思います。

大学生になって実家を出ての二人暮らし、慣れない環境、親のいない生活の中で毎日毎日何時間も個室で繰り返されるレッスン。

先生に怒られれば、「自分が悪かった」「直さなければ」と思うでしょう。

そして怒られた後にご飯をごちそうになったり、優しいテンションで「お前のためだ」と言われれば、「あぁ、いい先生だ」と思うでしょう。

 

バイトの後、疲れた体でレッスン室に向かい、深夜までレッスンを受けて朝早くから大学に出ていく。

レッスンは自分で稼いだお金で受けると親と約束していたので、妹も弟も身を粉にしてバイトしています。

 

先生に言われたことが常識で、先生の周りにいる人たちは正しくて、自分たちが間違っているから「変わらなければならない」と。

そして、周りの人が間違っていたら「変えなければならない」と。

それを自主的に思ったのではなく、指導の中で「思うように誘導された」と僕は考えています。

 

「先生」の「常識」と「正しさ」

先生(妹たち)の言う「常識」と「正しさ」はとても人を選ぶもので、それでいて美しいものでした。

  • 「怠慢」は罪であり、「やらなかった」ことは逃げである。

  • 「なぜ自分がその行動をとったか」を逐一説明し、「先生が納得するまで」話し合う。

  • 自分の過去を認めて見つめなおして、過去に自分が悪かった人たちには謝罪する

  • 人付き合いを見直し、自分を見直し、「正しくて常識のある人間になる」ことができれば、「自然と周りにもいい人が集まってくる」から『幸せになれる』

  • 自分たちの思考についてこられない人、自分たちと違う考えを持つ人は「ドロドロした汚い人」

  • 自分たちが「変えてあげている」にもかかわらず「変わらない」のであればそれは「切っていい」人たちである。

それを自信満々に話し、長年付き合ってきた友人や親の友人たち(もう半ば親戚みたいな人たち)までもあっさりと縁を切っていく妹たちに、そして親にまで周りの人と縁を切れと唆す妹たちに、僕は違和感を抱いていました。

確かに縁を切った相手の中には、縁を切るべき人たちもいました。

(うちは昔お店をやっていたので、その頃のなじみでお金を無心してきたり、美人局的なものに巻き込まれたりもあったもので…)

それでも、生まれる前から親と仲が良くて、家族ぐるみの付き合いをしてきた人たちだっていたのです。そんな人たちを、妹と弟は母親ににきつく言って、縁を切らせました。

曰く、「先生もそうする方がいいって言ってるし、そうすることは間違っていないから」と。

 

このころから、家庭の崩壊は始まっていたのかもしれません。

 

長くなってしまったので、続きます。