靫葛

覚書。

親兄弟が洗脳されている話。新。

1から読む

 

srmrutsubo.hatenablog.com

 

srmrutsubo.hatenablog.com

 

srmrutsubo.hatenablog.com

 

3年ぶりに実家に呼び出され、改めて洗脳されそうになったので備忘録。

さて3年の間に色々変わったので改めて登場人物まとめ。

 

 

僕:自分。少しばかり年を取った。コロナをいいことに実家への呼び出しを避け続ける。ただし没交渉ではない(電話したりとか最低限の連絡は親とはしていた)

 

父:数少ない理解者(だった)。現在最も新しい洗脳被害者。久しぶりに会ったらあの頃の「否定的」な父は存在しておらず、「先生」のおかげで~を言う側になっていた。

 

母:すっかり先生の虜。先生に怒られたら菓子折りをもって謝罪しに行って許しを請う。子供の育て方を間違えていたことに気づかせてくれたと泣きながら話していた。

 

妹1:4年前からずっと連絡を絶っているので知らない。すべての発起人。洗脳されているわけない。自分で考えてそう思うようになったんだから。

 

弟:いろいろあって大学を1年休学した。「先生」のおかげで復帰できた。先生のそばにずっといたい。

 

妹2:高校を卒業した。春から大学生。不登校になったりいろいろあった。どうやら弟だったらしい。先生の被害は少なめ。今回のお話の中心はこの人。

 

先生:「こんな風に言うのはあなたたち家族を特別に思っているから」だそう。ついに父の洗脳にも成功し、残る一人を徹底的に追い詰めたい模様。頑張ってね。あ、合唱団の指揮者。

 

突然の電話

コロナが蔓延していることをいいことに、GWだろうが盆だろうが正月だろうが帰らないを決め込み、ハッピーを満喫した3年間。

その間、特段家族に関係する話は出ていなかった。荷物送っただの誰誰がコロナになっただの、田舎特有の「〇〇さん家の長男が都会から帰ってきたせいで蔓延した」だの、そんな話をただ電話で聞いていただけだった。

妹2が不登校なのは知っていたし、何やら性自認が男で弟になりたがっていたり、多重人格が出ていたり、そんな話は小耳にはさんでいたし、本人から連絡が来れば話を聞いていた。

別になりたければなればいいと思うし、多重人格とかその辺りは思春期特有のものだろうと思っていたので。

ただ、時代が味方して学校側が制服を変えてくれたり、あっという間に専門医から手術の許可が下りそうになったりしたのはさすがに危ないと思って止めた。

手術は特に今じゃないと思うよとやんわりと…。

この辺は「先生」がどう思っていたのかも知らない。

とりあえず兄弟として、そして同じマイノリティとして、10年長くその世界を見てきただけに、軽はずみな決断だけはしないほうがいいと諭した。それからは特に連絡もなかったし、知ったこっちゃなかった。

 

そしてつい先日。3月の頭にかかってきた電話がこのブログに戻るきっかけになった。

普段全く連絡してこない父からの電話。嫌な予感がした。

「ちょっと一回帰ってきて話をしないか?」

田舎者には「父親が出てくる」というカードは効果てきめんだった。

そして、父が電話をかけてきてから、母からの連絡は一切なかった。

 

これは確実に「誰か」の意思で「父が電話をさせられ」、「母は故意に連絡を絶った」。

そういった考えに至るには時間はかからなかった。

 

というわけで帰った。

帰って来いと言われて帰ったとなるのが癪なので、当日朝7時に着くにもかかわらず、朝4時に今から帰ると連絡してやった。

実家への交通手段は手配できていたから。

まぁなんせ、帰った。

 

結論としては、帰らなければよかった。

 

始まる話、そして「知らんがな」

田舎者は地元に帰ると訪問する場所が大量にある。

祖母の家、親戚の家、墓……その辺をごちゃごちゃ片づけていたら、帰るまであと4時間くらいになっていた。

(なお、スケジュールは朝7時に家について15時に家を脱出するプランだった)

そんなわけで、ちょっと座って話をしようと言われ、さて本題かと身構えたわけだが、

ここから先はある程度「聞いた話」をそのまま書く。

自分の感情を入れると多分「間違ってないか!?」と問いかける記事になってしまうので。

それはよくない。言われたことだけを淡々と書いてみようと思う。

 

この話には明確な時系列が存在しており、その時系列に沿って書く。

 

2022年12月以前

上に書いた通り、妹は不登校、色んな精神的な病気の診断が出ており、たくさん薬を飲んでいた。学校は行ったりいかなかったり系の不登校だった。理由は後述。

 

2022年12月

妹1と弟が「先生」が指揮をしている合唱団のコンサートに出る。

客演として妹2と母も一緒に出た。その映像はYouTubeで生配信、アーカイブもある。

 

その配信コンサートで事が起こった。

コンサート中、妹2が立っていられず、立ったり座ったりを繰り返したのだ。

(椅子があるタイプのコンサートで、歌う時だけ立つスタイルだった)

しかも、妹の立ち位置がカメラ前(後ろから撮影されるカメラ前)で、

立ったり座ったりするのが全部映ってしまったのだという。

 

結果、「先生」の知り合いから、「立ったり座ったりしている子が気になって曲に集中できませんでした」とコメントがYouTubeにつき、合唱団はひっくり返るほどの大騒ぎになった。(合唱団は前に座っていたからアーカイブを見るまで知らなかった

結果的に親が団長に菓子折りもって謝りに行き、妹2も当然同行して謝ったそうだが、正直「体調悪くて座って何が悪いねん、むしろ座りっぱなしにならずに落ち着いたら立っただけ上等だろ」と思っていたんだと思う。

謝罪がなってないと団長がぶち切れ、「お前を除名する」と言ったそうな。

そしてそれを聞いた妹は「はいわかりました」と返事をした。

ここまで聞いて、「どっちが悪いか?」と聞かれたら、自分は「団長が気持ち悪い」としか答えないと思う。

妹2の気持ちはとても分かった。揉めてまで残る必要もないし、なんなら妹2はもう地元を離れる。除名されようが何だろうが、切れた縁なのだ。

 

ただ、親とほかの兄弟は違う。除名されたら困るのだ。だって団には「先生」がいるから。

妹そっちのけで親が謝罪し、兄弟が謝罪し、団長の除名で済んでいたはずの話は「先生」を呼ばれ、先生からの説教を受けるまでに至ったとのこと。

そしてその結果、妹2は「今まで精神病を偽っていました」となぜか嘘を告白し謝罪した。

 

2023年1月

精神病を偽ってあっちこっちに迷惑をかけた(学校とかカウンセラーとか?)ので、親は謝罪行脚をしたらしい。大変だね。

そしてそれを支えてくれたのが「先生」だったそうな。

 

2023年2月

「先生」とお話し合いをする。

妹2の嘘とこれからについて、先生が導いてくれ、親が「今までの自分たちの育て方を反省」し、子供たちに「申し訳なかった」と謝罪する会が実施されたそう。

そして妹2も改めて「嘘をついてすみませんでした」と謝罪、丸く収まったとのこと。

妹2曰く、「親の気を引きたくてそういう人になりきった」とのこと。

お前マジですげぇな。普通に診断書出てたぞ。本物じゃん。と思った。

それ演じ切って卒業までこぎつけたんだからこいつマジで天才じゃんと思ったが、それ言うと刺されかねないのでやめておいた。

 

2023年3月

ほかの家族は謝罪会にて丸く収まったので、あと1名謝罪をしていない(謝ってほしいとも思ってないけど)自分を呼び出し、謝罪会をしようとする。

 

という流れで呼び出されたのであった。

 

結論から言うと、

 

知らんがな。

 

とマジで思った。

 

正直30も手前になって、「育て方間違えた」だの「愛情が足りなかった」だの謝られて何になるんだろう?

そして、「お前も謝れ」と言われて「???」しかなかったが「すいませんでした」とだけ言っておいた。よくわからん。これでいいのか?

 

親が言うには、「先生のおかげで考え方が変わって、今までの育て方が間違っていたことに気づいて、目の前が開けた!」そうなので、もう手遅れだなと感じたし、何を話しても「先生は間違ったことは言っていない、正しい。否定するお前は間違っている」路線になるので疲れた。

 

先生がどう話して親兄弟を導いたのか知らんが、話だけ聞けば

・怒りで人を押さえつける

・「悪かった」という感情を植え付け、「どうしたら許されるか」を考えさせる(思考を誘導する)

・許したら目一杯褒め、人格を肯定する。

という、DVとか某宗教とかによくあるやり方だなと思っているが、きっと先生は素晴らしいからそんなことはしていないのであろう。

なんてったって、曇った目を再び輝かせてくれた、育て方が間違っていたことに気づかせてくれた、素晴らしい先生なのだから。

 

それを信じて残りの家族で幸せになってくれればいいや、もう二度と帰らねぇ。と思いました。

 

やっぱこれって自分がおかしいんだろうか?

 

とりあえずかけてすっきりしたから、天涯孤独になったと思って生きていくしかないな。

 

お疲れ様でした。

親兄弟が洗脳されている話。3

ずいぶんと間が空いてしまいました。

1、2はこちら

srmrutsubo.hatenablog.com

srmrutsubo.hatenablog.com

 

始まる戦い

洗脳されてしまった親兄弟と、それを否定し続ける材料を持たない自分。

分が悪いのは圧倒的に自分でした。

なぜなら向こうは「向こうの信じている正論しかもっていない」のですから。

 まさしく暖簾に腕押し、糠に釘。

こちらが何を言おうと聞く耳なんかないので、どうしようもないのです。

残された選択肢は3つ。

「戦い続けるか」

「疲れて洗脳を受け入れるか」

「逃げるか」

向こうの戦術はただ一つです。

僕に罪悪感を植え付けて、自分たちの思う通りの駒にしたい。

それだけです。

「本当に悪いと思っていたら素直に謝罪の言葉が出てくるはずだ」

「親不孝者」

「お前が不登校の間お母さんは死のうと思ったんだよ」

そんな後出しじゃんけんでただただ攻め続け、悪いと思ったところで陥落させようとするのです。

洗脳されそうになっているとわかったあとはずいぶんと平気になりましたが、かなり参っていました。

一応人間なので…。

 

着信拒否最高

というわけで、僕は逃げることを選びました。

電話を着信拒否し、メールは全部迷惑メールに設定。

それからLINEを削除して新しいアカウントは身内には一切伝えずに逃げに入りました。

幸い引っ越しを控えていたので住所は引っ越してしまえばわからないはず、とそこに一縷の望みをかけて着信拒否を続けました。

 

魔の手はついに周りに

 しかし、悪魔は考えます。

本人がだめなら、周りから陥落してやろうと。

親と連絡先を交換していた彼女に親から連絡が入りました。

友人にも。

幸い友人が少ないので被害は少なかったですが、なりふり構わず周りにすら僕と連絡を取ろうとする姿勢を崩さない親に背筋が凍りました。

 

あぁ、この人たちはこのままだと、僕を殺しに来るかもしれない。

 

本気でそう思いました。

 

親が殺しにやってくる

そしてついに、その日はやってきました。

ある日、父から連絡が入ったのです。

「明日、家にいないの?」

その日は旅行のために朝から家にいないことになっていたので、「いないよ」と返事をしました。

「お母さんが会いに行くって今出て行った」

「いないから連れ戻して」

「それでもいいから行くって行った」

実家からは夜行便で一晩かかります。つまり到着は最短でも翌日の昼。

家にいないことはわかっていたものの怖すぎて、慌てて彼女や先輩に助けを求める連絡をしまくりました。

 

通報。そして。

「もう警察に連絡してもいいと思う」

その一言で決心がついて、警察に電話をしました。

日付が変わったくらいの時間でしたが、すぐに警邏のおまわりさんを寄こしてくれて、家で簡単に事情を説明した後、警察署に。

家に来たのは男性でしたが、警察署では女性の方が待っていてくれて、そこでまた事情聴取となりました。

正直警察が介入してくれるような案件ではないと思っていたので、かなり真剣に聞いてくれて、保護の方法を考えてくれた警察の方々には本当に感謝しています。

結果、夜中3時ごろまで警察署で事情聴取や関係各所への連絡をしていただいて、その日はホテルでの宿泊となりました。(ホテルも警察の方が調べてくれた。料金はもちろん自費です。)

いつかこんな風に、押しかけてくる日が来るだろうと思っておびえていたんだなぁと痛感するとともに、知られていない場所で寝たあの一晩は驚くほど快眠でした。

 

家を離れている間に…

そうして翌日、母は本当にやってきていました。

僕はもちろん旅行に出ていませんでしたが、彼女宛に連絡が入っていました。

「今○○駅にいます。会えませんか」

会わないでくれ、と伝えて家を出ましたが、彼女は「どちらもの考え方を知っておきたい」と思ったそうで、母に会ってくれました。

それを内緒にしていて、即バレしてちょっと怒ったりしましたが…。それはまたおいておいて。

僕はおかしくなってからの母に会っていません。正月の時点でちょっとおかしかったですが、今の状況までではなかったので…。

彼女に危害がなくて安心しましたが、話の内容は相当なものだったようです。

常軌を逸していた、というのが正しいのかわかりませんが、話を聞いているとマシンガントークで僕のおかしいところをひたすらあげつらって、彼女からの返事は耳に入っていなかったような、そんな感じだったようです。

そして、彼女が1つ反論したことに対して、帰ってから長文のメールで反論してきていました。

見境も何もなくなったんだな、この人はもう「親」ではなくなったんだな、と感じました。

 

家に帰ると

そうこうして、1泊2日の旅行から戻ってみると、ポストに分厚い(マジで分厚い)封筒が。

開けるか迷いましたが、とりあえず開封してみると、便せん5枚?6枚くらいにびっしりと書かれた母からの手紙でした。

一枚目は読みましたが、気持ち悪すぎてすぐに破って捨てました。

内容としては、

お前が悪いんだから早く連絡を取れ!いつまで逃げるんだ!将来の話もしたかったのに…残念です…家族と縁を切るつもりか!!二度と敷居を跨がない覚悟なんだろうな!!

とまぁこんな感じで飴と鞭にもなってない…なんだこれ…みたいな内容が便せんびっしりにずっと書かれていました。

正直気持ち悪かったです。

 

 というわけで、押しかけてきたところまで…。

 

ちなみに今は無事引っ越しも終わり、住所も(役所で戸籍取られない限りは)バレていない状況です。

親兄弟が洗脳されている話。2

1はこちら

srmrutsubo.hatenablog.com

 

家庭の崩壊

1に書いた通り、僕の家族は両親と3人の妹弟たちです。

「先生」に師事している妹1と弟のほかに、妹2がいます。

妹2は中学生。しかし、ここ1年ほど、学校に行っていませんでした。

理由は聞いていないけれど、学校に行かなくなって(いけなくなって)妹はリストカットやら解離性同一性障害など、精神的な病気がいくつか見られるようになりました。

何もないときは至って元気に、家でアニメやらゲームやらに熱中しているんですが、一度モードに入ると押さえられないようで、実家に帰ると傷の増えている腕を見ては、心配していました。

 

加えて、同じタイミングで父が仕事に行かなくなりました。

数年前にもあったことですが、父は昔からうつ病を患っており、良くなったり悪くなったりの精神状態の中仕事を続けていました。

久しぶりに限界が来たのか、半年ほど休職して、妹と二人で自宅警備員をしていました。

3月に入ってから二人とも学校と仕事に復帰しましたが、まだまだ予断を許さない状況ではないか、と思っています。

 

その状況で、たった一人で家庭を支えていたのが、母でした。

 

僕も、妹も弟もおらず、一人で朝から晩まで働いて家に戻れば、アニメやゲームをしてダラダラしている父と妹がいる…

考えるだけでイライラするでしょう。ムカつくでしょう。

そのうえ祖母が入院し、父も世話をしていたもののやはり細かなことは母が世話することもあり、母の疲労はピークに達していました。

毎晩かかってくる電話。母の愚痴に付き合いながら、実家に戻るべきかとは考えていました。

しかしこちらも仕事を持っている身であり、家族という柵・大嫌いな田舎から逃れたくてわざわざ実家から僻地(実家も僻地なんですけどね)に逃げた身。

心の底から戻りたいとは思っていませんでした。

 

母の家出。妹の異変。

いよいよ腹に据えかねたのか、2月の半ば頃、母は家出しました。

学校に行かない妹、仕事に行かない父、愚痴を聞くだけで帰って来ようともしない僕。全てに怒り、家を飛び出しました。

家出してすぐ、「家出したから!!」と電話をかけてきたので、僕は慌てて実家の妹と父に連絡を取りました。

妹2に学校に行けと急かし、学校の用意をさせ、父の復職の予定を聞いて母と話をするように諭しました。

そして、当然の流れで妹1にも連絡を取りました。

「おかん、家出したらしいよ」

すぐに電話がかかってきて、妹1はこう言いました。

「おかん、やったな!!マジで家出してよかったわ!!ずっと言い続けてきたかいがあったわほんま!!」

 

僕は、耳を疑いました。

 

妹との戦い

そのあと、母は近くに住んでいる妹と弟の家で一夜を過ごし、家に帰らないまま仕事をしていたそうです。

僕はそのあとから、妹1と連絡を取るようになりました。

もともとヒエラルキーの底辺にいた僕と父は、妹1が家を出てからとほとんど連絡を取っていませんでした。

連絡を取る用事もないうえに、連絡を取ればくどくどと説教をされて面倒だからです。

思えば、そのころから妹は家族を「変えよう」としていました。

そして、真っ先に変わったのが、「母」でした。

家出の後、妹の家に行った母は、そこで「先生」と連絡を取ったそうです。

先生と話をし、先生に諭され、先生の考え方を聞き、妹に今までのことを怒られ、その結果、「私も変わらなきゃ」と思ったと、明るくなった声で言っていました。

そして、母と妹による「僕を変えよう大作戦」が幕を開けたのです。

 

僕を変えよう大作戦

僕は前述の通り、高校生の時半年間不登校児になりました。

理由は単純明快で、クラス内にいじめがあり、1人が退学まで追い込まれたにもかかわらず何もしなかった自分と、「退学したんだって^^」とへらへら話すクラスメイトへの怒りとがぐちゃぐちゃになって、自分の思考を止めることでしか自分を守ることができなかったからでした。

「あいつらと同じクラスだと思われたくない」

狭い田舎の中で、こういったスキャンダルじみた事件はあっという間に噂になります。

1人の人生を壊しておきながら、クラスメイト達は何のお咎めもなく有名私立へ推薦で合格を決めていく。この人たちの人生も、自分の人生も何も壊れない。壊れたのはやられた子だけ。

ものすごく不公平で、世界の汚さに頭がおかしくなりそうでした。

今考えれば、いじめから逃げたのは僕だったのでしょう。

そして、僕は半年間学校に行きませんでした。

朝遅く起き、昼間は家事をして夜中まで起きている、そんな生活を半年間続けました。

代償として、出席日数が足りず希望の大学は受験資格すら与えられないことがわかり、どこかほっとしたのを覚えています。

勉強もついていけていなかった上に、友達も少なかったこともあり、進学クラスにいながら、私立の短大を受験する気楽さに身を落としました。

 

これが、「先生」の言う「逃げ」なのでしょう。

 

母の家出からあと、まずは妹が、そして母が、「過去と向き合え」と毎晩毎晩電話をかけてきました。

それは時に怒鳴り、時に甘い声を出し、時に泣きながら、僕の思考を変えようとするものでした。

朝の4時ごろまでずっと怒鳴られ続けたこともあります。

 

僕は学校に行かなかったことを「よかった」とは思っていないものの、人生経験として「経験しておいてよかった」と思ってはいます。

だから僕は、自分の過去を隠すことはしません。話す中で学生時代に言及が行けば必ず「高校時代不登校でさ」と話すようにしています。

 

でも、これでは向き合ったことになっていないらしいのです。

 

毎晩続く電話の中で、僕は徐々に洗脳されていきました。

当時、怒涛の勢いで言われる話の内容をメモしていたものがあったので掲載してみます。

言っていることは至極全うで、そして僕の生きてきたこれまでと、今生きていることすべてを否定するものでした。

f:id:srmrutsubo:20190314235657j:plain
f:id:srmrutsubo:20190314235741j:plain

 

正直、今読み返しても高校に行かなかったことに関して、言われていたことの半分も理解ができていませんでした。

だから、メモと同時にネットで調べて、「過去の向き合い方」「自分の認め方」みたいな記事をクソほど読みましたし、自己啓発本もたくさん読みました。

 

ふと浮かんできた疑問

今僕は在宅で仕事をしていることもあり、電話が鳴ればある程度はとることができました。

しかし、妹と母の電話攻撃は朝から晩まで鳴りやまず、僕は仕事に集中できなくなってきていました。

母も妹も言いました。

「きちんと学校に行って、自分の過去を認めていれば、”こんな仕事”にはついていなかったんじゃないの」

「学校に行かなかったことでお前が家族を全部壊した。そんな兄弟はいらない」

「きちんと過去を認めて、正しくなったあなたと『家族』になりたい」

 毎日毎日、過去も現在も否定され続け、考えろ考えろと言われる日々。

思考なんてもう、停止していました。

 

本当に、今までの僕は間違っているのだろうか。

今の僕は、おかしいのだろうか。

誇りを持っている仕事に対して「こんな仕事」って言われたことは侮辱されているのではないだろうか。

不安になった僕は、「誰かに相談する」ことを選びました。 

 

「あなた、洗脳されかけてるよ」

毎日の電話攻撃と精神攻撃に、僕はすっかり参っていました。

 

なぜ過去をそこまで言われなければならないのか。

正直、「高校に行っておけばよかった」と思ったことはもちろんありました。

それでも、進学した短大でいい友人と先生に恵まれ、就職についても浪人することなく新卒で正社員として働くことができ、うつ病になって転職はしましたが今の会社では責任あるポジションにつかせてもらい、周りの人にも恵まれてのびのびと仕事することができています。

少なくとも、「こんな仕事」と揶揄されるような仕事ではないと思っています。

 

そして僕は、尊敬している上司にこのことを相談しました。

その方はかなり苦労して人生を送ってきている方で、僕の話も「そういうことあるよね~!!私も同じようなことあったよ」と聞いてくれていました。

しかし、話す中で「自分が間違っているんでしょうか。考えても考えてもわからないんです」と言った瞬間、豹変しました。

 

「あなたは間違ってなんかないよ!!あなた、今お母さんと妹さんに洗脳されかけてるよ!同じ道に落ちそうになってるよ!!!」

 

雷に打たれたような気分でした。

 

そうか、これが「先生」もやっていた洗脳手段か。

僕は今、母と妹に洗脳され、彼女たちの都合のいい人間に作り替えられようとしているのか。

 

悩み続けた時間が全くの無駄であったこと、そして母と妹が「先生」に洗脳されていることに気づいた瞬間でした。

 

そしてここから、僕は家族の洗脳と戦うことになりました。

親兄弟が洗脳されている話。

忘れない間に、少しずつ書いていこうと思います。

 

内容はタイトルの通り。

 

僕には両親と3人の妹弟がいます。4人きょうだいですね。

瀬戸内海の離れ小島で生まれ育ち、田舎というクソ狭いコミュニティで高校生まで生活してきました。

親は田舎から出たことがありません。

 

割と平凡な家庭でした。

 

しかしながら家庭の崩壊は、3年前から始まっていました。

 

軽く自己紹介。

僕は現在24歳。4人兄弟の長子です。

今は実家を離れて遠い地で一人暮らし中。

兄弟は、妹1(大学生)、弟(大学生)、妹2(中学生)の3人。

大学生の妹と弟は実家を離れて2人で暮らしています。

親は共働きで、食べ物にも暮らしにも困っていない、平均的な家庭です。

 

舞い降りてきた「先生」

そんな我が家に4~5年程前から新しい風が吹き込んできました。

弟が某有名大の先生に歌の才能を認められ、師事して専門的にレッスンをしないか、と言われたのです。

その方は世界的な歌手で、弟はそのお弟子さんに師事し始めました。

時期は少し遅れましたが、妹1もそのお弟子さんに師事し始めました。

レッスンを受け始めてからの弟と妹の変貌ぶりは物凄く、弟は先生がいるからと大学受験を決め、悪かった成績がメキメキ上がり、歌は歌でコンクールで入賞するほどの実力になっていきました。専門学校に行くつもりだった弟は、偏差値の高い大学に受かり、立派に大学生になりました。

妹は公立大学にストレートで合格、歌の実力、大学の勉強ともに充実しているようで、2人はどんどん自信に満ち溢れていきました。

 

一方僕は、高校時代に半年不登校、大学は卒業したものの就職後もなかなかうまくいかず、職を転々としてようやく今の会社に落ち着いた経歴があります。

 

そんな僕と、優秀なきょうだいたち。

もちろん、上下関係はひっくり返っていました。

妹も弟も僕を見下し、親ですら、妹たちをあてにしています。

でもそのことは、当然のことでしたし、僕は「家族」をないがしろにしてきていたので、特に異論も何もありませんでした。

むしろゆくゆくは縁を切るつもりでしたから、僕がいない形で家庭が回っていけば、自然といつか忘れられるだろうと、そう思っていました。

 

しかし、妹1と弟の思考は、師事している先生に毒され始めていました。

 

「先生」と「思考の誘導」

その先生は、歌の世界で大成できる実力者でありながら、環境に恵まれず、プロとしての知名度は高くないながら、地元で合唱団を作り、後進の指導をしているそうです。

(僕はお会いしたことがないので、聞いた情報ですが……)

すごく頭のいい方で、いろんな勉強をしている勉強家で、一目見ればその人のことが全部わかる…とまぁいわゆる「すごい人」だそうです。

 

そんな先生の指導を受け始めた妹1と弟は、「先生の言う正しさ」がすべて正しいと思い込み始めました。

当然のことだと思います。

大学生になって実家を出ての二人暮らし、慣れない環境、親のいない生活の中で毎日毎日何時間も個室で繰り返されるレッスン。

先生に怒られれば、「自分が悪かった」「直さなければ」と思うでしょう。

そして怒られた後にご飯をごちそうになったり、優しいテンションで「お前のためだ」と言われれば、「あぁ、いい先生だ」と思うでしょう。

 

バイトの後、疲れた体でレッスン室に向かい、深夜までレッスンを受けて朝早くから大学に出ていく。

レッスンは自分で稼いだお金で受けると親と約束していたので、妹も弟も身を粉にしてバイトしています。

 

先生に言われたことが常識で、先生の周りにいる人たちは正しくて、自分たちが間違っているから「変わらなければならない」と。

そして、周りの人が間違っていたら「変えなければならない」と。

それを自主的に思ったのではなく、指導の中で「思うように誘導された」と僕は考えています。

 

「先生」の「常識」と「正しさ」

先生(妹たち)の言う「常識」と「正しさ」はとても人を選ぶもので、それでいて美しいものでした。

  • 「怠慢」は罪であり、「やらなかった」ことは逃げである。

  • 「なぜ自分がその行動をとったか」を逐一説明し、「先生が納得するまで」話し合う。

  • 自分の過去を認めて見つめなおして、過去に自分が悪かった人たちには謝罪する

  • 人付き合いを見直し、自分を見直し、「正しくて常識のある人間になる」ことができれば、「自然と周りにもいい人が集まってくる」から『幸せになれる』

  • 自分たちの思考についてこられない人、自分たちと違う考えを持つ人は「ドロドロした汚い人」

  • 自分たちが「変えてあげている」にもかかわらず「変わらない」のであればそれは「切っていい」人たちである。

それを自信満々に話し、長年付き合ってきた友人や親の友人たち(もう半ば親戚みたいな人たち)までもあっさりと縁を切っていく妹たちに、そして親にまで周りの人と縁を切れと唆す妹たちに、僕は違和感を抱いていました。

確かに縁を切った相手の中には、縁を切るべき人たちもいました。

(うちは昔お店をやっていたので、その頃のなじみでお金を無心してきたり、美人局的なものに巻き込まれたりもあったもので…)

それでも、生まれる前から親と仲が良くて、家族ぐるみの付き合いをしてきた人たちだっていたのです。そんな人たちを、妹と弟は母親ににきつく言って、縁を切らせました。

曰く、「先生もそうする方がいいって言ってるし、そうすることは間違っていないから」と。

 

このころから、家庭の崩壊は始まっていたのかもしれません。

 

長くなってしまったので、続きます。